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【実録①】日本で死にかけて、マルタで人生変えた。-海外で寿司職人になった話-

英語ゼロの元公務員が、気づいたらマルタで寿司握ってた話
気づいたら、マルタで寿司握ってる。
だけどちょっと前まで、公務員だった。
毎朝スーツ着て、満員電車乗って、定時に出勤して、ちゃんと働いてた。

「安定してるね」って言われてた。
親にも安心されてた。
普通にそれなりに、ちゃんと“真面目な人生”歩んでた。

けど。

その人生、一瞬で壊れた。


◆人生が止まった夜

ある日、体調崩した。
検査したら、コロナ陽性。
まぁ寝てたら治るでしょ、って思ってたのに、どんどん悪化。

熱も下がらない。咳止まらない。息できない。一人暮らし。

床に倒れ込んで、そのまま意識が朦朧とした。ほんとに思った。

「あ、これマジで死ぬやつかも」

でもその瞬間、もっと怖いことに気づいた。
走馬灯みたいに過去が流れてくるってよく言うけど、
“心が震えた景色”が、ひとつも浮かばなかった。

旅行もしてない
思い出も薄い
何のために生きてた?って真顔で自分に問いたくなった


◆そこで決めた

死ぬなら、その前にちゃんと生きたい。
だからその夜、誓った。

「海外に住む。見たことない景色をこの目で見る」

英語?できない
スキル?ない
人脈?ない

だけど、不思議とこう思った。

「可能性は、ゼロじゃない」って。


◆寿司職人って海外強いらしい、って聞いて飛びついた

ある日、SNSで見かけた投稿。

「寿司職人は海外で働きやすい。英語できなくても全然いける」

え、なにそれ、天職じゃん?
このときの勢いすごかった。
即ググって、即資料請求して、寿司学校に申し込み完了

人生で初めて、マジで“考える前に動いた”。


◆寿司学校スタート。ガチの職人道、始まる

朝から包丁、夜までシャリ。
2ヶ月みっちり、握り続けた。
魚のさばき方も、まな板の拭き方も、立ち位置も、全部が初体験。

でも楽しかった。苦しかったけど、生きてる感じがした。
唯一の問題は、就職サポートがゼロだったこと。
寿司学校時代のことはここに綴ってる。
【リアル】寿司学校、通ってみた。2か月で本当に職人になれる?


◆求人も履歴書もメールも、全部Google翻訳とChatGPT

求人サイトを片っ端からチェック。
英語履歴書とか書いたことないから、ChatGPTにお願いして、
応募メールも作ってもらって、
Google翻訳で微調整して、
勢いで応募。

そしたら。

「フライトも社宅もビザも全部出します。来れますか?」

は?まさかの即レス。しかもヨーロッパから。
送り主は――マルタ共和国の寿司レストラン


◆マルタ?どこそれ?でも行くしかなくない?

ほんとに思った。「マルタ?どこそれ?」って。
でもそのとき、迷いゼロだった。

「行くしかないっしょ」

即返事して、パスポート探して、チケット手配して、
気づいたら人生が大移動してた。


◆空港着いた瞬間、泣きそうだった

空、海、建物、ぜんぶ初めて見るものばっかりで、ヤバかった。
英語の看板、右側通行、街のにおい、全部が「海外!!!」って感じで。

「あぁ、ほんとに来ちゃったんだな」って震えた。

でも――その感動が終わるのは、3日後。


◆夢の続きは、地獄だった(予告)

新しい職場。
初めての海外生活。
知らない言語、知らない文化、人間関係、プレッシャー、孤独。

あのときはまだ、**“これから地獄が始まる”**なんて知らなかった。


目次

🛫続きはこちら👇

👉【実録②】孤立・パワハラ・精神的限界。夢を叶えたその先の現実(マジでヤバい)


🌍この話で伝えたいこと

やりたいことがあるなら、準備できてなくてもいい。
自信がなくても、スキルなくても、
「やる」って決めた瞬間に人生は動く。

マジでそれだけ。


【次回】で語る内容は、
「海外=夢」って幻想がぶっ壊れた実録。
それでも辞めなかった理由、見にきて。

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この記事を書いた人

はじめまして、「元ホームレスの嫁」です。
日本では公務員として働き、その後、海外で寿司職人として修行。
今ではマルタのIT企業で、英語を使いながら国際色豊かな仲間と海外オフィスジョブを楽しんでいます。
英語も海外生活も、最初は不安だらけ。でも一歩飛び出せば、意外となんとかなるもんです。
元バックパッカー&ホームレスの夫(現在プロボディビルダーを目指し中)と共に、マルタで挑戦を続ける日々。
「型にはまらない生き方」「海外でのキャリアの築き方」「英語を楽しむコツ」など、リアルに発信中です。

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